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2004年2月1日日曜日

リオ篇 2月1日(日)

今日は久々の観光。国立ボタニコ公園の近くにある滝に連れて行ってもらうことに。
メンバーはピアニストの清水由香さんとジュニオール、日本語の上手なマイコ(男性)。由香さんとは去年エポカ・ヂ・オウロが日本に来た時に彼女も帰国していて、東京のライブ会場で知り合っていたけれど、ここリオで大変お世話になりました。銀行のこと、買い物のこと、美味しいレストランのこと(大変重要)など沢山のことを教わり、よくライブにも一緒にでかけたし聴きにきてくれたりもしました。マイコはリオの一流ホテルで働きながら日本語の先生もしていて、ダンスもかなり上手。この三人とはよくご飯を食べたり遊びに行ったりして、本当に楽しい仲間でした。

朝8時に集合してバス2台を乗り継ぐ。先週の事故以来バスは避けていて、やはり最初に乗る時は体が震えてしまい、トラウマとはこういうものかと実感。途中 までは鋪装された坂道をひたすら登り、やがて木の幹やツルにつかまったりしながら道なき道をすすみ(本当に凄かったです)着いたのは、小鳥がさえずり、水 の音の響く美しい滝。
みなさん用意よく水着に着替えて流れの穏やかな滝つぼで水と戯れる。私一人水着がなくてみんなにぶーぶー言われつつ見学。でも、ここに来るまでの道のりだけでも気持ちがよく、本当に癒されました。

2004年1月31日土曜日

リオ篇 1月31日(土)

このあたりからしばらくスランプ状態。ひたすら練習するしかない。月曜にはフェルナンドに調整してもらうことに決める。とはいえ、あまり暗い文章になるのもどうかと思うので、気をとりなおしてマクドナルドの話でもしましょう(なんで!?)。
コパカバーナ海岸から少し奥に入った通りに、マクドナルドはあります。ここの前を通るといつも思い出す話があって、それは2002年、リハーサルのためにパンデイロの長岡さんが初めてうちに来た時のこと。駅からの道中にあるマクドナルドのお店の形状が、間口は狭く、奥に向かって細長い。それを見た長岡さん が「ブラジルのマクドナルドみた~い」と目をキラキラさせて嬉しそうに言ったのです。それを聞いてから、ブラジルのマクドナルドはどこも奥に細長いのだと 思い込んでいたけど、サンパウロでは違ったので一部のようです。でもコパカバーナのマクドナルドはまさに奥に細長く「これだ!」と思ったのでした。一度サ ラダを買ったけど、半端じゃなく大きかったです。
ハンバーガーつながりで、よく見かけたもう一つのチェーン店が「ホブス」(ROB’Sと書きます)。海岸沿いのアトランチカ通りにもあって、夜遅くなってもお客さんがいっぱい。店員さんも皆英語の話せる若い人が多かったです。

2004年1月30日金曜日

リオ篇 1月30日(金)

今日はレッスン。この回から録音したレッスン内容をノートに書き出すことに。ポル語のヒアリング訓練。何よりスタジオでブースに入った状態で意志の疎通ができなければレコーディングも成り立たない。ちょっと必死になってきたわけです。
そして、今日はレッスンの冒頭、厳しいことを言われてしまいました。新しい楽器はどうか?という質問に始まり・・やはり昨日のライブで思うように演奏できなかったのが伝わっていたのだ。はー。基本的で当たり前のことを言われるとこたえるものです。楽器も弾きこめば必ず鳴ってくる確信はあったけど、いくらか調整の必要も感じる。弦も替えなくては。
厳しいことを言われたのは最初だけで、レッスンはまたほのぼのムード。お互いの家族の話などをする。ホジェーリオのお父さんはパンデイロ奏者(故人)お母 さんは歌手で、5人兄弟全員が楽器をやっていて、そのうちプロ活動をしているのは3人。うちもまぁ、両親とも音楽家だったので「音に囲まれた家族。同じだね」などと言われる。

2004年1月29日木曜日

リオ篇 1月29日(木)

今日の『ダーマ・ダ・ノイチ』でのライブは、ホナウドとセウシーニョが地方公演で不在のためメンバーが違う。歌手のアジェノールとギターのホジェーリオは 同じだけど、まずバンドリンがホドリーゴ・レッサ(「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」「パゴージ・ジャズ・サルジーニャス・クラブ」のメンバー)。そして今日 はパンデイロではなくドラム(ブラジルではバテリアと呼ばれる)のマルシオ・バイーアが入る。マルシオは何度も日本に来たことがあるそうだ。

 私はというと、慣れない楽器で不安。特に弦を調整する"糸巻き"が固くて思うように動かせなかったり(こういうことで時間がかかるとイライラしてしまうも のだ)演奏するにもまだ体に馴染まず、なかなか感覚がつかめない。もちろん聴いている人には楽器がどうかなんて関係ないから、ひたすら一生懸命やるだけなのですが。なんとか演奏を終えたけど、疲労感たっぷり。


2004年1月28日水曜日

リオ篇 1月28日(水)

今日はボタフォゴ地区(コパカバーナの北に位置する)にあるセルジオ・ポルト劇場へ。ホジェーリオお薦めのアーティストがライブに出演するという。彼の名はラエルシオ・ジ・フレイタス。サンパウロの人で、作曲家でありピアニスト。
実はちょっと長くなる話があって、1月15日、初めて聴いたホナウドたちのライブで一番最初に演奏され、一発で惚れてしまった曲の作曲者がこの人だった。 MDに録音していたので昨日ホジェーリオにタイトルを聴いたところ『私達の友達"エズミ"へ』だと教えてくれた。そのあとで、サンパウロで大量に買った CDをホジェーリオに見せて(自慢して)いたところ、一枚のCDを手に彼が言う。「このCDのタイトルにある"エズメラウジーノ"が、あの曲の"エズミ" のことだよ」と。へ??
順を追うと、こうだ。
サンパウロで私が買ったCDは、作曲家エズメラウジーノのショーロ作品を集めたもの。そしてそのエズメラウジーノの友達だったラエル シオが、作品に彼の名をつけた。ホナウドたちがその曲を演奏し、私は好きになった。で、作曲者ラエルシオの生演奏が今日リオで聴けるということだ。これは 行かねば!・・

タクシーで会場に着くと、入り口に若い人たちがわんさかたむろしている。中へ入ると十代にしか見えない若い人ばかり。おどおどしつつライブフロアに入って席に座ってみたが、落ち着かない。そのうちお客さんも満員になり登場したのは、なんとヒップホップのバンドではないか!えぇぇぇっ、ちょっと違うよホジェーリオ~
仕方なく一度出てスタッフに尋ねると、どうやら数バンド出るイベントらしく必ずこの後にラエルシオが出るという。ホッ。この場で待つのは難しいので出口近くに行ってみると、ちょうどTさんご登場。近くのミナス料理食べ放題の店に行き今日もまた満腹に。
さて良い時間になって再び会場に戻ると、すでに始まっていました。今日のライブはラエルシオの娘、タウマがヴォーカル。オリジナル曲の他「ラメント」なども歌ったが、曲間でスキャットする時のフレーズがまるで楽器のアドリブそのもの。ラエルシオのピアノも素晴らしかったけど、タウマに魅了されてしまった。 満足、満腹な一日でした。

2004年1月27日火曜日

リオ篇 1月27日(火)

楽器はすぐには鳴ってくれない。朝から練習。ロングトーン、音階練習、バッハ、パガニーニとまるで学生時代のようなメニューでゆっくり楽器と仲良くなっていく。午後のレッスンで、ホジェーリオは楽器を買えたことを喜んでくれた。彼の楽器の話なども聞き、少しずつ会話がこなれたかな?
レッスン後はTさんのご案内でヴィラ・イザベルという街へ。ここは数々の名曲を生み出したサンバ界の大作曲家ノエル・ホーザ出生の街。歩道に大きな五線譜と音符の模様が描かれていて、それが彼の曲の楽譜だったりする。素敵。この街にあるレストランでちょっとしたライブがあるそうなので出かけました。でもラ イブそのものよりお料理の美味しさに感動。お腹いっぱい食べて今度はクララ・ヌネス劇場のショーロコンサートへ移動。

コンサートは「プリンシピオス・ド・ショーロ」と銘打たれたもの。先週から始まった5回シリーズだが、毎回少しずつ趣向をかえている。今日はいくぶんリラックスした内容、そしてまた終演後にホーダ。
2回目とあって先週ほどの大人数ではないが、ギターのヤマンドゥも加わり充実したアンサンブル。彼らは「ほら、弾いて。何を弾くの?」と促してくれる。私はまだ慣れない楽器で不安に思いつつアリー・バホーゾの「ショランド」を弾き始めると、皆あまり知らないらしくルシアーナのカヴァキーニョのみでギター伴奏がつかない。すぐさまビールを飲んでいたマウリシオがかけよってきて美しいギターを奏でる。古典ショーロの復興に力を注いでいる彼だが、その曲目インデックスたるや、並ではない様子。弾き終わると曲の美しさに嘆息すると共に、さすがマウリシオ・・とヤマンドゥやルシアナも関心した瞬間でした。

2004年1月26日月曜日

リオ篇 1月26日(月)

朝から地下鉄に乗り、楽器屋さんのあるシネランジア駅でおりる。歩いて5分ほどの場所にそのマンションはありました。
部屋に迎え入れられ、奥から出て来たのは40歳前後の楽器職人フェルナンド。事情を話し、いくつか楽器をみせてもらう。最初にすすめられたのを弾いてみると、なかなか響きが良い。しかしそんな良い物を買う余裕はまったくないので「一番安いのを出して」と頼むと、1940年代の楽器を出してくれた。
弾いてみると・・うぅ、見事に鳴らない。それでも値段は今回の旅に持って来たオモチャ並の楽器の5倍はしてしまう。「日本にはメインのを置いて来ているし、お金もないから高いのは買えない」と話し図々しいことに「このへんに、良くなくていいから安いのをうっているお店はない?」などと聞いたら、なんと親切に電話帳を調べながら教えてくれました(なんかこうやって書いてると自分のケチ具合を再認識してしまう・・)。1940年代の楽器は保留ということにして紹介してもらった楽器屋に行くことにする。
行き先は楽器屋が集中しているカリオカ通りだったので歩いて移動。このあたりの楽器屋さんはいわゆるポピュラー楽器を中心とした品揃えで、ヴァイオリンを置いているお店は少ない。でも、教えてくれたお店にはありました。おじさんが2種類出してくれる。本体に弓とケースがついたセットになっていて、試していいということで弾こうとすると、まずチューニングするにも一苦労。安いには安いが、とにかく造りが悪く「とりあえず」というにも苦しい楽器(輸入品です)。まぁその値段で作れといわれてもとても出来ないことなので、仕方がないという気はしました。
ここでも保留にしてチェーンのカフェ「マテ・レオン」で休憩。マテ茶を飲みつつ考える。
経済状況からすると安い方。でも手を加えてもどうにもならないほど、良くない。1940年代のは弾きこめば鳴りそうだから仕事にも使える。でも高い・・。 ここで母に電話。事情を話すと仕事で使える方が良いのでは、と言われる。そうそう、そうだよねー!ついに借金の申し入れ!!そして銀行で大金をおろしフェルナンドのもとへ直行。ニコラにお礼の電話をし、喜んで帰宅。さあ楽器を弾きこまねば。